効率化の先で、私たちが失ったもの。~業界に問う~
sep 18, 2026 / Column婚礼の仕事に携わって、36年になりますが、その間に結婚式は大きく変わりました。
ホテルや専門式場が全盛だった時代があり、レストランウェディングが生まれ、ゲストハウスが登場しました。
「自由な結婚式」
「ふたりらしい結婚式」
「型にはまらない結婚式」
新しい言葉が次々に生まれ、私はその変化をずっと現場で見てきました。
だから最近、婚礼業界が発信する、
「結婚式は、こうあるべきなんてなくていい」
「形式的な慣習に縛られなくていい」
「幸せのカタチは一人ひとり違う」
という言葉を見るたびに、少々意地悪な私は思うのです。
いやいやいや。その「型」を作ってきたの、あなたたちでもあるでしょ。
と。
もちろん、結婚式の形式を特定の企業が作ったわけではないけども
業界はその時代ごとに「売れる結婚式」を作ってきたのは事実です。
ホテルウェディングが売れればホテルウェディング。
ゲストハウスが売れれば、貸切邸宅、ガーデン、階段入場、デザートビュッフェ、バルーン、サプライズ。
そして「ふたりらしさ」とか「オリジナル」という言葉まで、いつの間にか商品になっりました。
自由を売ったはずなのに、気がつけば、「自由っぽい結婚式」という新しい型を作っていた。のだと思っています。
その結果、何が起きたか。
私は、ここを業界自身がもっと考えるべきだと思っています。
「何と戦っているんですか?」
10年ほど前のこと。
あるブライダルコンサルティングの人が話がしたいというので、電話で話しました。
彼の構想は、ゲストハウスをプロデュース会社にも開放し、「箱貸し」をすることだった。
会場の稼働を増やすために、私たちのようなプロデュース会社にも使ってもらおう、という話です。
私は言いました。即答です。
「いらないかな。」
そもそも私たちのところへ来る新郎新婦の中には、ゲストハウス的な結婚式を求めていない人がいる。
キラキラした世界観も、次々と繰り広げられる演出も、自分には必要ない。
そう感じている人たちだ。
なのに、ゲストハウスという箱はそのままで、入口だけ広げようとしている。
それでは根本的な解決にならない。
「どうやったら会場を埋められるか」の前に、なぜ結婚式をしない人が増えたのか。
そこを考えた方がいいんじゃないですか、と話しました。
別のゲストハウスでは、集客が落ち始めた頃、広告宣伝のためにかなりのお金をかけて撮影をしていました。
外国人モデルを使い、庭園で華やかなセレモニーやパーティーの模様の撮影です。
当時の支配人に、「どうですかねぇ」と聞かれましたが、
私は、「意味ないんじゃないですかね。一体何と戦ってるんですか?」
と答えました。
隣のゲストハウスより華やかに。
競合会場より素敵に。
もっと映える写真を。
でも、本当に戦う相手は隣の式場だったのでしょうか。
本当に向き合うべきだったのは、「結婚式って、別にしなくてもよくない?」
という人たちだったのではないでしょうか。
一組獲得して、何人の「ナシ婚」を作ったのか?
婚礼業界は長い間、集客を競ってきました。
広告を出す。フェアをする。特典を付ける。競合より魅力的に見せる。
そして、一組を成約する。
もちろん商売だから、それは必要です。でも私は、その先が気になるのです。
その結婚式に50人、80人、100人のゲストが参列する。
その人たちは帰るとき、
「私もいつか、こんな結婚式をしたい」と思ったのか?
それとも、「高そう」「大変そう」「こういうの、私はいいかな」
と思ったのか。
もし後者を大量に生み出してきたのだとしたら、一組の売上を作る一方で、未来の顧客を失ってきたことになります。
それなのに、「最近の若い人は結婚式をしなくなった」「価値観が変わった」「時代ですね」で済ませていると思うのです。
はい、他責ー!
私はそう思います。若者だけの問題ではないし、経済環境だけの問題でもない。
結婚式を見て、「自分はやりたくない」
と思わせてきた結婚式が、本当にそこにはなかったのか。
そこは業界側が一度、自分たちへ問いを返すべきだと思います。
効率化で、何を捨てた?
そして、もう一つ。
婚礼業界は効率化してきました。
私は効率化そのものを否定しているわけではありません。
無駄な仕事はなくせばいい。AIでも機械でも使えばいい。
人間がやらなくていい仕事は、どんどん減らせばいい。
でも、その前に一つだけ聞きたいことがあります。
「その手間が、なぜ存在していたのか知っていますか?」
例えば、自宅での花嫁支度。
会場で着付けをすれば効率がいい。美容師も移動しなくていい。時間管理もしやすい。
忘れ物にも対応しやすい。だから合理的です。理解はできます。
では、自宅で花嫁支度をする意味を知っているのでしょうか?
自分が育った家で支度をする。家族がその姿を見守る。仏壇に手を合わせる。
近所の人が花嫁姿を見に来る。親が、自分たちが育てた娘をその家から送り出す。
そこに流れていた時間を知っているのでしょうか?
見たことや感じたことがあるのでしょうか?
「着物を着せる」という作業だけを見れば、会場でやればいい。
でも、花嫁支度は、着物を着せる作業ではない。と思っています。
料理のサービスにしても思うところはあります。
なぜ料理を左側から出してきたのか。
その理由を知らないまま、「右から出した方がスタッフが動きやすい」と変えてしまう。
挙げ句、教科書まで「右出し右下げ」になっている。
変えることが悪いと言っているのではない。
意味を理解し、それが今の時代には必要ないと判断したのなら、捨てればいい。
非効率だから削除。スタッフがやりやすいから変更。それは「進化」ではないと思う。
一流ホテルや、国家晩餐会を仕切るトップクラスのサービスマンたちは、
現代の教科書の文字通りに「右から」と盲信していません。
彼らは「卓上の状況(グラスの数や配置)を見て、お客様の会話を邪魔せず、
最も危険の少ない側から出す」という柔軟な判断をします。
それこそが、マナーの語源でもあるゲストに対する「思いやり」であり、
「誰のための食事なのか」という問いへの答えだからです。
教科書や現場が書き換わったことで、こうした「現場でのゲスト目線の合理性」や
「美しい伝統」が失われつつあるのは、私からすると悲しみさえ覚えます。
大切なものを捨てて、要らないものを増やした。
この36年間を振り返ると、婚礼業界はずいぶん多くのものを増やしてきました。
装飾。
映像。
サプライズ。
フォトスポット。
ゲーム。
演出。
ウェルカムスペース。
SNS映え。
「ふたりらしさ」を表現するための商品。
その一方で、何を減らしてきただろうか。
家から送り出す時間。
親が子を送り出す時間。
家と家がつながるという感覚。
親が子の幸せを願う儀式。
周囲の人たちに夫婦として認めてもらうこと。
誰かの幸せを、みんなで祝うこと。
私はときどき思う。
削るもの、逆だったんじゃないの?と。
大切なものが随分捨てられてきました。
そして、その穴を埋めるように、要らないものが増えてきました。
LESS IS MORE。
少ないことは、豊かなこと。
でも、それは「少なくすればいい」という意味ではありません。
「何を削るかが重要なのです。」
削るべきだったのは、意味のない形式や演出だったのではないか。
削ってはいけなかったのは、人と人との間に流れる時間だったのではないか。
昔に戻したいわけではない
こういう話をすると、「昔の結婚式に戻したいんですか?」と思われるかもしれない。
それも違います。
私はゴンドラもドライアイスも復活させたいとは思わないし、
昔から続いているものだからという理由だけで残す気もありません。
無意味なものはいらない。流れを壊すものもいらない。
ふたりらしくないものもいらない。会場に迷惑をかけるものもいらない。
無駄な装飾もいらない。
でも、非効率だから捨てる。今っぽくないから捨てる。
は、絶対違います。
なぜ、それがあったのか。誰のためにあったのか。そこにどんな意味があったのか。
一度ちゃんと潜ってから判断すればいい。
残すなら、残す。
形を変えるなら、変える。
要らないなら、捨てる。
それだけのことです。
結婚式は「ふたりだけ」のものなのか
入籍だけ。
写真だけ。
ふたりだけの思い出。
それも一つの選択だと思う。
ただ私は、結婚という出来事には、ふたりだけでは完結しないものがあると思っています。
育ててくれた人がいて、見守ってくれた人がいる。
これから関係を結ぶ家族がいる。ふたりが夫婦になることを喜んでくれる人がいる。
結婚式には、「私たち、幸せになります」だけではなく、
「ここまで育ててくれて、ありがとう」と、
「これから、このふたりをよろしくお願いします」があるのです。
だから私は、結婚式の主役を新郎新婦だけだとは思っていません。
親にとっても、大切な節目だからです。
「自分たちらしい」だけを追い続けた結果、
その視点まで古いものとして捨ててしまったのだとしたら。
それは本当に進化だったのだろうか。
36年見てきたから、言わせてもらう
今の若い支配人が生まれる前から、この仕事をしている。
ホテル婚が栄えた時代も見た。
レストランウェディングが出てきた時代も知っている。
ゲストハウスが登場したときの勢いも知っている。
それが増え、競争し、似たような商品になっていった過程も見てきた。
そして今、「形式にとらわれない結婚式を」と業界が言い始めた。
だから、少しだけ言わせてほしい。
「業界が作って、壊してきたもの、こちとらずっと見とるんじゃ!」
もちろん私たちも業界の一員です。
だからこれは、誰かだけを責める話ではありませんし、私自身への問いでもあります。
何を残したのか。
何を捨てたのか。
何を次へ渡すのか。
最近、CRAZYが「いい結婚式」を一社だけでつくらず、全国の式場と共につくっていくという取り組みを始めた記事を読みました。
私は、この考え方にとても期待しています。
資金も組織もある会社には、どんどんやってほしい。
一つの会社が勝つためではなく、結婚式そのものの価値を、もう一度上げるために!
もう、隣のゲストハウスと横並びで熾烈な戦いをしている場合ではありません。
戦う相手を間違えないでください。
問うべきは、「どうすれば、うちの会場が選ばれるか」ではありません。
「どうすれば、結婚式という文化が、もう一度必要とされるのか」
です。
結婚式をしない若者を責める前に。
時代のせいにする前に。
集客方法を変える前に。
広告写真を撮り直す前に。
AIで効率化する前に。
一度、自分たちに聞いてみたらいい。
私たちは、何を捨ててきた?
そして、その効率化で生まれた余白に、何を増やしてきた?
答えが、映像と装飾とサプライズばかりだったなら。
たぶん、もう一度考え直した方がいい。
結婚式は、もっと人間くさいものだったはずだ。
効率の悪い時間の中に、親の思いがあった。
家族の思いがあった。誰かを祝う気持ちがあった。
それを全部「昔の慣習」と呼んで捨ててしまう前に、
なぜ、それがあったのか。そこまで潜ってみてもいいのではないでしょうか。
上澄みを舐めるのは、もういい。
私はこれからも、人生の節目を、日本の美学でデザインする。
新しいものを拒むためでもなく、古いものを守り続けるためでもない。
残すべきものを見極め、次へ渡すために。
それが、36年間この仕事をしてきた私の責任だと思っています。