最後に残るもの。

jun 19, 2026 / Column

最近、結婚式をするにあたり、どうしても外せない、親子関係の悩みというか、

報告?が多いので、少し考えてみることにしました。

私の父が亡くなる少し前の話です。

病床の父は、もう私のことも誰かわからなくなっていました。

私は父の手を握りながら聞きました。

「お父さん、私のことわからんの?」

父は私の顔をじっと見て、「わからんなぁ」と。

そして、うっすらと微笑みながら「よー似とる」と言いました。

私は聞き返しました。「誰に?」

すると父は穏やかに笑って、「ワシに。」と言いました。

 

それが父から私への最後の言葉でした。

 

父は新聞記者でした。厳しい人でした。

褒められた記憶はほとんどありません。

仕事で成果を出した話をしても

「調子に乗るな」「新聞読め」「もっと勉強しろ」そんなことばかり言う人でした。

ちょっとでも言われることに反論しようものなら、往復ビンタが飛んできました。

ただただ怖く、苦手意識しかありませんでした。

リビングで一緒に過ごさなければいけない時間は、どこに潜んでいるかわからない

地雷を踏まないように、全集中です。

 

でも、離婚前、私が泣きながら実家へ帰った時には、迎えに来た夫に向かって、

「お前、真美を幸せにすると言わんかったか?真美が泣いているじゃないか!!!」

と怒鳴り、「お前は、行間とか読めんのか!小説読めま!!」

と、途中から国語の授業のようになっていました…。

私は泣いていたのに、笑ってしまったことを覚えています。

 

逆に、母は正反対でした。

「真美ならできる」「大丈夫」「あんたはすごい」

根拠などなく、ただそう言い続けてくれる人でした。

そして母はよく言っていました。

「真美とお父さんはホントそっくり。男と女の違いくらいしか差がない」と。

当時はその理由がよくわかりませんでした。

私は父のようになりたいとも思っていなかったし、むしろ違う人間だと思っていました。

けれど父が人生の最後に私に残した言葉は、

「ありがとう」でもなく、「愛している」でもなく、

「ワシに似てる。」でした。

その一言のあと、私はただただ父の手を握り、いつまでも泣いていました。

 

父は新聞記者として50年生きつづけ、ただ出来事を見るのではなく、

その背景を見る人だったように思っています。

何が起きたのかではなく、なぜそうなったのかを知りたがる人でした。

新聞社に勤めながら、父が出版した本の題名は『根掘り葉掘り』。

まさに父そのものです。

そして気づけば私も同じことをしています。

結婚式を見ているようで、親子を見ている。

親子を見ているようで、家族の歴史を見ている。

夫婦を見ているようで、人間を見ている。

結婚式の仕事を三十五年続けてきて、私がずっと知りたかったのは、

結婚式そのものではなく、人なのだと思います。

結婚式の日、親御様は

「ちゃんと育てられたかわからない」

「何もしてやれなかった」

「これでよかったのだろうか」とよく言われます。

私も親なので、同じように感じています。

「私は子供たちにとっていい母親だったか」と。

でも私は思うのです。

親が子に残せるものは、お金でも学歴でも財産でもないのかもしれないと。

生き方なのだと思います。

どんな時に怒るのか。

どんな時に笑うのか。

何を大切にしているのか。

何を譲れないのか。

子どもは、思っている以上に親を見ています。

もちろん、すべての人が同じ家庭に生まれるわけではありませんし、

親との関係に苦しむ人もいます。

傷つけられる人もいます。裕福な家庭。貧困家庭。親の離婚…。色々あります。

でも、ただ、人生を振り返った時に思うのです。

父が最後に残したもの。

母がずっと与えてくれたもの。

それが、今の自分を支えているのだと。

 

結婚するお二人も、その日は、親への感謝を伝える日かもしれません。

でも本当の意味は、まだわからないかもしれません。

自分が親になった時。

誰かを守る立場になった時。

人生の理不尽に向き合った時。

その時になって初めて、親が自分に残してくれたものの意味に気づくことがあります。

60歳になってわかることは、私は親からの言葉や姿勢を受け取りながら生きてきたなぁということです。

父が私に残したもの。

母が私に残したもの。

それに気づくまで、ずいぶん時間がかかりました。

でも今なら言えます。

私は幸せだった。

そして、その幸せは、愛された記憶ではなく、

愛されていたことに気づけたことなのだと思います。

そして結婚式という仕事を通して、たくさんの親子を見てきました。

そこでやっぱり思うのは、親が子に残せるものは、生き方なのだと。

そして子どもは、思っている以上に親を見ているのだと。

それをどう解釈し受け取るのかが、大事なのだと思います。