辻井伸之コンサートで受け取ったもの。

jun 01, 2026 / Column

今日は、結婚式とは関係のない話を書きたいと思います。

私の記憶を記録しておきたい。そんなところです。

興味ある方は是非読んでくださると嬉しいです。

 

昨日、辻井伸行さんのコンサートへ行ってきました。

同じ曲を弾くピアニストはたくさんいますが、私には辻井さんの音が一番優しく聴こえるのです。

 

力で押してこない。競わない。

ただ静かに寄り添うような音がする。

 

だからいつか生で聴いてみたいと思っていました。

それが昨日実現しました。

 

一曲目が始まった瞬間、涙が出ました。

まだ何も起きていない。

盛り上がったわけでもない。

思い出が蘇ったわけでもない。

ただ最初の一小節でした。

「え、私、早すぎん?」とちょっと動揺したくらい、

私の心のバリアを通り抜けてきました。

理由はわからない。わからないまま涙が出る感じです。

二曲目からは目を閉じて聞いていました。

怖かったのかもしれません。

でも、なぜ怖かったのかもわからないのです。

ただ、これ以上受け取るとヤバい。と私は反射的に視覚を遮断し、

音だけを聴いていました。

モネなどの絵画がステージ上の大型スクリーンに投影される、

印象派の音楽×印象派の絵画のコンサートなのに!!

 

私は昔から、人より少し多く受け取るところがあって。

感情移入が激しい、という言葉は少し違うなと思っていて。

誰かの表情を見ると、その奥を考えてしまうのです。

なぜそんな顔をしたのか。

何を飲み込んだのか。

何を言わなかったのか。

勝手に想像してしまう。そんな感じです。

結婚式でもそうで、新郎新婦だけを見ているわけではなくて。

父親の目線。

母親の指先。

祖母の表情。

兄弟の沈黙。

会場に流れている感情を、無意識に拾い上げているのです。

拾い上げているというか、勝手に入ってくるというか・・・。

 

そんな体質だから、人混みが苦手なんですけど、

人が嫌いなわけではないんですよね。

むしろ好きだと思う。

ただ、人混みや大人数の交流会みたいなものは、情報量が多すぎるのです。

視線。声。感情。気配。全部が一度に流れ込んでくるので、ものすごく疲れます。

一人が好きなのも、そのためだと思う。

静かな場所で、自分の輪郭を取り戻したくなるのです。

私は人の気持ちが分かる、ということではなく、

ただ、見ようとしてしまう。

感じようとしてしまう。

そして、その先まで想像してしまう。

同時に、それは疲労の原因でもあるのです。

特技ではない。才能とも少し違う。体質なのだと思います。

そして昨日、その体質が私自身に直接向いたのだろうと思います。

 

アンコールになった時。

私は二曲目から閉じていた目を開け、

初めて、辻井伸行という人を見続けました。

アンコールからは、ピアノを聞いていたのではなく、

辻井さんをただ見ていたんだと思います。

アンコール曲は、何を弾いていたかは、記憶にありません。

そこにいる。

生きている。

歩いている。

頭を下げている。

拍手に応えている。

また舞台へ戻ってくる。

その姿をただ、ボロボロに泣きながら、見ていました。

会場中が拍手喝采です。両隣の人は笑顔で額の前あたりで拍手をしていました。

私はもう限界でした。

三回目のアンコールでは、「もう拍手やめてくれ」とさえ思いました。

「もっと聴きたい」ではなく、もう受け止めきれなかったのだと思います。

終演後も涙は止まりませんでした。

会場を出ても、駐車場へ向かっても、車に乗ってからも。

1人になったからか、涙は嗚咽に変わりました。

手がしびれて、口もしびれて、過呼吸になりました。

 

私は、何に泣いているのだろう。

音楽だろうか。

違う気がする。

辻井伸行という人生だろうか。

それも違う気がする。

私は、何かに触れた。それだけはわかる。

でも何に触れたのかがわからない。

彼は何を感じ、何を見ているのだろう。

そんなことをずっと考えていました。

けれど本当は、辻井さんが見ている世界を考えていたのではなく、

私は私自身の奥底を見せられていたのかもしれません。

 

昨日、辻井さんの音を通して、私の奥底の悩みや溜めていた気持ちとか、

いろんなものが一気に動いた。そんな気がします。

 

良かった。

感動した。

素晴らしかった。

そんな言葉では足りないのです。

説明しようとすると、何か大事なものがこぼれてしまう…

そのくらい衝撃的で初めての感情で、

これまでにない感情の扉が開かれたような気がします。

 

あれから一日経った今も、私の激しい涙の意味は何なのかは分かりません。

ただ一つだけ分かることは、私は音楽を聴きに行ったはずなのに、

音楽だけを聴いていたのではなかった、ということ。

今なんとなくわかるのは、辻井さんは「心の目」で見ているから迷いがなく

あれほどまでに透き通った音が生まれるのだなと。

 

3回目のアンコール曲が終わった後、彼はそっとピアノの蓋を閉めて、

笑顔で手を振って去っていきました。

私はその姿に、深く繋がれたことを理解したのかもしれません。

「迷うな。信じろ。」と教えてくれたような気がします。

 

 

 

※TOP画像は高岡文化ホールのHPより引用させていただきました。